ブログで記事を書く時に「自然な日本語で書け」とよく言われますが、そもそも「自然な日本語って何?」と、具体的にはよく分からない。
逆に言えば「不自然な日本語にならないこと」と言えますが、では不自然でない日本語であれば何でも良いのか、というと、そんなことはないですよね。
記事を読む人の立場からすれば、
「日本語に不自然さがなく」(違和感なく読め)、
「読みやすく」
更に「分かりやすい」
ということも必要と言えると思います。
不自然な日本語で書かれていたり、読みづらかったり、読んでも良く分からない、となれば、その記事の存在価値はない
(つまり記事を投稿しても検索順位も上がらず読まれることもない)
とも言えるので、基本をおろそかにしない方がよいですね。
ここでは、自然な日本語、読みやすいということ、分かりやすいということ、の3つについて、これまで色々な記事を添削してきた経験からそれらのポイントについて見て行きたいと思います。
Contents
自然な日本語の文章
自然な日本語とは
まずは「自然な日本語」ということについてですが、ブログで記事を書く時、指導者(メンター)に師事して進める場合や何か教材に沿って進める場合でも、必ずはじめに「記事は自然な日本語で書きましょう」という言葉が出て来ると思います。
はい、自然な日本語ですね、分かりました!
と思いつつも、
いや、待てよ、自然な日本語ってなんだ?
と目がキョドってしまう自分がいる(笑)
私の場合もブログを始めた頃は正にそんな感じでしたが「自然な日本語とは」とか「不自然な日本語とは」など、具体的に説明してくれる人がいないんです...
(単に、”ここ不自然だから”とアバウトに指摘してくれる人は沢山いそうですが、その感覚は分かっても何がどう良くないのかが具体的に分からない...)
そういった中、ブログで記事を書いたり他のブログの記事の添削したりしていて、こうしたところに日本語の不自然さが現れるな、と、いろいろ気が付きましたが、それらは大体以下の3つの要素に分かれます。
- 1)日本語的に明らかに不自然なもの
- 語調が変であったり句読点の付けたに違和感があるものなど
- 2)読みづらい
- 平仮名が不自然に連続していて、どこからどこまでが意味の切れ目か分からない、漢字が多過ぎるなど
- 3)分かりづらい
- 主語述語の関係が不明瞭などで文の意味が分からりづらい
これらの要素が1つでもあれば「不自然な日本語」であり、逆に、
- 1)日本語的に明らかに不自然なものがない
- 2)読みやすい
- 3)分かりやすい
となっていれば、「まぁ自然な日本語になっている」と言えそうです。
ということで、まず1つ目の「日本語的に明らかに不自然」というところのポイントから見て行きましょう。
語調(文体)
日本語の文章で不自然さを感じる代表格の「語調」(文体)。
文章を書く時の語調としては「ですます調」とか「だ・である調」がありますが、1記事の中でこれらが混ざると読み手に違和感を与えます。
(文章の意味は分かるけど、不自然だなー、という感じ)
「これは~です」といった「ですます調」で書かれた文章を読んでいる時、あるところで突然「これは~である」「あれは~だ」など「だ・である調」が混ざる。
こうなると、何か複数の人が入り乱れて書いているような感じで、読み手側も何か違和感を抱いて落ち着きません。
例えば以下の文。
- これはまだ新しい表現なのかもしれません。以前は「~」という表現が使われていましたが、今では「~」と言うそうだ。何年後かに「~」といった表現に変わっていると面白いですね。
この例では「ですます調」の文章の中に突然「言うそうだ」と「だ・である調」が混じってますが、語調を揃えて「言うそうです」と「ですます調」でそろえた方が自然な感じです。
表現の工夫として、特定の箇所(独立した説明箇所、例えばプロフィールや企業紹介など)には「だ・である調」を使う、など、意図して混ぜる場合もありますが、まず基本は語調をそろえる、というのが、自然な日本語になると思います。
(「ですます調」で書いているのであれば、記事全体全体をまず「ですます調」でそろえる)
その上で、変化を付けるなどの理由から(文章力が必要ですが) 流れ的に違和感のない形で意図して別の語調を混ぜるなら混ぜる、として行くと、不自然さのない自然な日本語の文章も作れそうです。
ちなみに「ですます調」と「だ・である調」では、どちらで文章を書くのが良いのか、と言えば、誰に読んでほしい記事なのか、とか、記事内容にもよる、というところ。
不特定多数の人が読むブログの記事では、丁寧な感じで誰からも受け入れられそうな「ですます調」。
その中でも何か特徴的な文、文体自体で個性を出す、ニュースタイプの内容、解説系の記事であれば「だ・である調」を使う、というのはよく見かけます。
「だ・である調」は堅苦しい感じ、きつい感じも出ますので、文章を書くのが上手でない、慣れてない、などの場合には「ですます調」が無難だと思います。
- ポイント:語調の統一について
- 語調(文体)は記事内では統一する
- まずは「ですます調」に揃えて行くのが良い
同じ表現の繰り返し
同じ表現が近くで繰り返されると、単調でもあり稚拙な印象を読者に与え、これも日本語の不自然さを出してしまう要因にもなるところ。
この「同じ表現の繰り返し」には、「文章中に出て来る表現の繰り返し」と「語尾の同じ表現の繰り返し」の2パターンがありますが、まず文章中について例えばどんなものか、みて行きましょう。
文章中の繰り返し
- 「近くに偶然にもAさんが近くに現われてびっくりした」
- ⇒ 「近く」が繰り返されている
- 「結果として7連敗したがその後盛り返し、翌年には9位まで盛り返した」
- ⇒ 「盛り返す」が繰り返されている
- 「スポーツをしているのであれば、この練習ノウハウを理解すれば、きっと上達します」
- 「~であれば」「~すれば」と同様の表現が繰り返されている
こうした「同じような表現が繰り返される」というのは口語の会話では良くあることですが、文章で読んでいると不自然だったり、稚拙な印象も出そうです。
いずれの場合も、重複部分を削る、別の表現で置き換えて重複をなくす、としていくと、自然な感じになりますね。
- 「偶然にも近くにAさんが現われてびっくりした」
- ⇒ 後半の「近く」を削ってみた
- 「結果として7連敗したがその後挽回し、翌年には9位まで盛り返した」
- ⇒ 前半の「盛り返す」を近い意味の「挽回」に置き換えてみた
- 「スポーツをしている場合、この練習ノウハウを理解すれば、きっと上達します」
- ⇒ 前半の「のであれば」を「場合」に置き換えてみた
重複した表現を同じ意味合いの別の言葉に置き換える、という場合には、類似語辞典などを使うのも1つの手だと思います。
(日本語WordNet(類語) - Weblio類語辞典 など)
- ポイント:同じ表現の繰り返し
- 文章中に同じ表現が近くで繰り返される場合には、削ったり、同じ意味の別の表現に置き換えてみる
語尾の繰り返し
文章中の同じ表現の繰り返しも結構ありますが、語尾(文末)で同じ表現を繰り返すことも良くあり、これも日本語的に不自然さを出してしまうことにつながります。
例えば以下の文:
- ブログを立ち上げるには、まずドメインを取得します。
- その後レンタルサーバーと契約します。
- そしてワードプレスをインストールします。
- それから記事を作成します。
この例では語尾に「ます」が連続して、(語弊があるかもしれませんが)小学生の低学年など日本語をまだ学習中といったような稚拙な感じがしたり単調な感じがしたりと(大人の人が記事を書いたとして読むと)ちょっと不自然に見えます。
こうした時には、
- 1)語尾に変化を付ける
- 2)どこか2つの文をつなげてしまい同じ表現が出て来る回数を減らす
といった対応をすると、より自然な感じになります。
その1)語尾に変化を付ける
「語尾に変化を付ける」と言っても、「ですます調」の場合は語尾の表現も少ないので「~です」とか「~ます」が意図せず連続してしまい単調になりがちです。
(それが不自然さや稚拙な印象にもつながる)
- 「~ます」が連続していたら「~です」に一部を変えてみる
- 「~でしょう」「~ですね」など少し感情を含めた言い方に変えてみる
- 「です」「ます」などを付けずに「言い切る」
- 名詞で止める「体言止め」など表現を混ぜてみる。
これら表現を混ぜることで、文章全体として単調さがなくなり、逆にリズムが生まれて自然な感じになったりします。
上の方で見た1つ目の例は「~します」が連続しているので、体言止めや、「~ます」を「~です」に言い換えたりすると、例えば以下のような感じにもなりますね。
- ブログを立ち上げるには、まずドメインを取得します。
- (これはそのままとして)
- その後レンタルサーバーと契約。
- (体言止めに変えてみた)
- そしてワードプレスをインストールしていきましょう。
- (最後を、していきましょう、に変えてみた)
- その後はいよいよ記事の作成です!
- (「ます」を「です」に変えて、その関係で文も少し見直ししてみた)
ちなみに、(名詞で止める)体言止め、という所だけで言うと、よくある例が以下のようなもの。
- 昨日、友達と海の方にドライブしてきました。
- 海外沿いから見える夕日が物凄くきれいでした。
- また同じ場所に、同じ人と一緒に行けたらな、と思いました。
最後が全て「~した」となって単調で、何も考えずに書いた日記みたいになっちゃってますが、ここで名詞で止める体言止めを入れてみる。
- 昨日、友達と海の方にドライブしてきました。
- 海外沿いから見える夕日。
- これが物凄くきれい!
- また同じ場所に、同じ人と一緒に行けたらな、と思います。
2行目を「体言止め」にして名詞で言い切る変化を付けた例ですが、加えて3行目では”きれい!”と「言い切り」と最後もちょっと「思います」に変えてます。
こうした体言止め、よく見かけると思いますが、何か余韻が残る、というか、情緒が感じられますね。
なぜ体言止めにすると余韻や情緒が感じられるかと言えば、名詞で終わってしまい、その後の、それがどうした、というところがないからだと思います。
(ここで言えば「夕日」でプツっと終わっているので、夕日がどうしたんだ~、と何か想像力を駆り立てられるとか、文章が読み手の思考に働きかける、という感じでしょうか。ミロのビーナスは腕がないからこそ魅力的に感じるのと同じ...かな?(そうかぁ?))
語尾に変化を付ける時、この体言止めも是非取り入れてみてください。
その2)文をつなげてしまう
文末の表現が連続する場合、語尾に変化を付ける以外にも、「文をつなげてしまって同じ表現になる数を減らす」というのもあります。
先ほどの「ブログを立ち上げる」といった例では、以下のような感じにもなりますね。
- ブログを立ち上げるには、まずドメインを取得します。
- その後レンタルサーバーと契約して、ワードプレスをインストール。
- それから記事の作成です!
途中の2つの文を1つにしてみた例です。
(名詞で止める体言止めを使い、更に最後の文もちょっと変えてますが)
同じ語尾が連続して不自然な感じがでてるな、という時、個々の文が長くない場合には、こうした「文をつなげる」ということも有効な場合がありますので、試してみてください。
※)くっつける文が各々長いと、くっつけて作った1文がかなり長くなるため、読み返して分かりづらくなっていないかは確認しましょう。
- ポイント:文末の同じ表現の繰り返し
- 語尾(文末)に同じ表現が連続する場合「言い切り」や「体言止め」を入れてみる
- 2文をまとめて1つにする、ということも有効な場合がある
丁寧過ぎる表現
読者に向けて丁寧な文を書こうとするあまり、丁寧過ぎになって回りくどくなったり分かりづらく日本語的に不自然な文になることもあります。
例えば以下の文:
- 私ははじめて拝見させていただき、お手伝いさせていただきました。
口語でもありがちなところですが、丁寧に丁寧に、と意識するあまり、その丁寧さを表す表現が過剰になって文章にすると不自然な感じにもなります。
この例ではそもそもが「拝見する」という敬語に「いただく」という謙譲語がつき、ただでさえ二重敬語みたいな感じになっているので余計に不自然さが漂い、さらに「いただく」という表現がそのあとすぐ連続していて、非常に冗長感のある不自然な文章になっています。
この例の場合、以下ぐらいにすれば良さそうです。
- 私ははじめて拝見し、お手伝いさせていただきました。
二重敬語、というのは色々な場面で見られますが、ブログで記事を書く場合には、まぁ、そこまで気にしなくても良いは良いかなとは思います。
- 二重敬語の良くある例
- お帰りになられました(正:お帰りになりました)
- ご覧になられますか?(正:ご覧になりますか?)
- おっしゃられる(正:おっしゃる)
気を付けた方が良いと思うのが、上の方の例にもあるような「1つの文の中に丁寧な表現が連続する場合」。
1つの文でなくても、あまりに丁寧な表現が連続すると読み手から見て何か不自然な印象を持たれる場合があるので、音読するなどしてみて不自然な感じになってないか確認してみると良いです。
- ポイント:丁寧過ぎる表現
- 連続する丁寧な表現は、不自然な印象を持たれる場合がある
- 二重敬語、という点も気を付けると良い
句読点の付け方
日本語の文には句点(。)読点(、)がありますが、句点は文章の最後に付ける、読点は文章の中で何か区切るために使われます。
この句読点でかなり不自然なパターンは、句点(。)が読点になっている文。例えば以下のような感じです。
- 日本語の文には句点がある、読点というのもありますね、あわせて句読点といいますが、...
文の終わりが句点(。)でないと、文がどこで終わるか分からないので意味がとりづらく、とっても不自然な日本語に映ります。
こうした句点(。)の打ち間違えはたまに見かけるだけですが、よく見かけるパターンとしては「読点(、)が全くない文」。
短い文であれば読点(、)がなくても良いですが、文が長かったりすると意味がとりづらく不自然な感じにもなります。
例えば以下のような文。
- 句読点を上手に使うといってもあまりにも神経過敏に意識することはないんですが文章を見返しながら意味の塊で読点を打っていくと自然な感じになりますね。
確かに読んで意味は分かりますが、息ができない~!みたいな感じで、不自然な日本語に見えそうです。
自然な日本語にするには、句点(。)と読点(、)を正しく使う、というのがまず基本。
句点(。)については、文章の終わりに付ける、とすれば、そうそう間違えることはないと思います。が、読点(、)は結構難しい。(と思う場面がよくあります)
読点(、)は日本語の文法的には多くのルールというかパターンがあるようですが、基本は以下の3つぐらいを押さえておけば良いかなと思います。
- 1)意味の塊を区切る
- 2)読んでいる時、「多分このあたりで息継ぎするな」という所に付ける
- 3)文字がつながっていて、区切った方が見やすい、分かりやすい、というところにつける
先ほどの読点のない文章の例で、意味の塊や息継ぎを意識して少しだけ付けてみると、以下のような感じになりますね。(まず一か所だけ読点をいれてみた例)
- 句読点を上手に使うといってもあまりにも神経過敏に意識することはないんですが、文章を見返しながら意味の塊で読点を打っていくと自然な感じになりますね。
まだ読点のない箇所が長く読みづらそう、という感じがするので、もう少し読点を付けてみましょう。
- 句読点を上手に使う、といってもあまりにも神経過敏に意識することはないんですが、文章を見返しながら、意味の塊で読点を打っていくと自然な感じになりますね。
意味の塊を意識して少し読点を増やしましたが、まぁ、こんな感じかな、というところです。
逆に、意味の塊を考えずに読点を付けると、意味がとりづらく不自然な日本語になる場合もあります。
例えば同じ文に対して以下の例。
- 句読点を、上手に使うといってもあまりにも、神経過敏に意識することはないんですが文章を、見返しながら意味の、塊で読点を、打っていくと自然な感じになりますね。
意味の塊で見れば、たとえば出だしの「句読点を上手に使う」は一塊となっていて、連続して読まないと意味が良く分かりません。
上の例ではその意味の塊の途中に読点「、」が入り、意味をぶった切っている、みたいな感じになっているので、分かりづらい不自然な日本語に見えます。
その次の「あまりにも、神経過敏に意識することはない」でも、「あまりにも、」と読点が打たれているので、そこまでで一旦意味が区切られ別の流れや意味の文が来るかと思ってしまう(けど実は意味が続いていた)ため、意味の取りづらい不自然な文に見えそうです。
意味の塊、というところは非常に重要で、読点の打ち方によっては全然意味の違う文にもなります。
例えば良く例に挙げられそうな以下の文。
(ちょっと極端な例ですけど)
- 例)私は寝ぼけながら急いで会社に出掛ける夫を見送った。
- 1)私は寝ぼけながら、急いで会社に出掛ける夫を見送った。
- 2)私は、寝ぼけながら急いで会社に出掛ける夫を見送った。
1,2では、意味が変わってきますよね?
1では、寝ぼけているのは私。でも2では、寝ぼけているのは夫。
読点の打ち方で、不自然な日本語や分かりづらい文にもなるので、迷ったら「読点は意味の塊で打つ!」と考えて行けば迷いも少なくなると思います。
- ポイント:句読点の使い方
- 句点(。)は文末に打つ
- 読点(、)は、意味の塊を意識して打つと分かりやすい
不自然な漢字
記事はパソコンで文字入力して作成するため、漢字変換もとっても簡単。でもその簡単さゆえに、気を付けてないと「不自然な漢字」を使ってしまい、これも不自然な日本語、ということにもなりそうです。
たまに見かけるのが、「~し様とする」(~しようとする)といったパターン。
何か古風な感じがするのは私だけかもしれませんが(笑)
多分、キーボードの文字入力で短い単語で1つ1つ漢字変換しながら入力していき、文字入力に集中するあまり気が付いていない、ということかもしれません。
この例の場合は、読めるし、意味は前後関係で分かる。
でも何気に不自然な印象を与えそうなので、こうしたものは極力自然な形にしていくと良いですね。(ここでは平仮名で”しようとする”に変える)
不自然な漢字、というわけではないですが、平仮名にしても普通にわかるものは平仮名で書く、とすると「分かりやすくて読みやすい」という形になる場合も多いです。
- 貴方 → あなた
- 程 → ほど
- 是非 → ぜひ
- 所 → ところ
- 為 → ため
- 併せて → あわせて
- 面白い → おもしろい
- 下さい → ください
「下さい」と漢字で使う場合には「もらう」意味の時で、
お願いする場合には平仮名を使うのが正しい - 宜しく → よろしく
- 何れも → いずれも
- 未だ → いまだ/まだ
- 毎 → ごと
- 但し → ただし
- 成る → なる
- 迄 → まで
こうしたところも取り入れていくと、読みやすい文章になりそうです。
- ポイント:不自然な漢字について
- 安易に漢字は使わず、平仮名で意味の分かるところは平仮名の方が読みやすくなる場合が多い
誤字脱字
こちらも不自然な日本語の代表である「誤字脱字」。
文章中に誤字脱字があったり、多少間違いがあったとしても、「あ、この漢字間違ってる」とか「意味のない平仮名がまじってる」とか思いつつも、読者はそれほど気にせず記事を読み進めてくれると思います。
記事の中にちょっとした間違えがあるのは笑ってごまかせそうですが、ただそれも多く目立つと、
「これ書いてる人、記事投稿前に見直ししてないな」
「適当に書いてるなぁ」
などと、書き手のレベルを疑われて記事の信頼性が落ち、記事を読むのをやめて別の記事に行ってしまうかもしれません。
誤字脱字があると、検索エンジンが正しくその記事の内容を読みとれないことも考えられるので、SEO的な観点でもマイナスになりそう。
たとえば、よく見かける誤字(漢字間違え)では以下のようなものがあります。
- 「これが以外に多いんです」と「意外」と「以外」の間違え
- 「希望に答えられない」と「答える」と「応える」の間違え
また、漢字の変換ミスでは、
- 「勝手にやっている」とするつもりが「買ってにやっている」となっていた
- 「明日は汝から始まりますか」と「何時」のつもりが古風な感じで相手に問いかけてるような文になっていた(笑)
- 「意志は固いほうです」と書くつもりが「石は固いほうです」となっていた
(まぁ確かにそうだと思うけどね、なんて(笑))
気を付けないと、全く意味が取れない超不自然な日本語にもなりますね。
(笑いが取れれば結果オーライ、みたいなものもありますが。ずば抜けた面白さがあれば、その記事が拡散されて検索結果の上位に上がるかもしれません(笑))
脱字では、文章を修正していて余計な文字が残っている、ということが結構あります。
例えば以下のような感じ。
- 元の文
- 「日本語は思ったほど難しくはないですが、誤字脱字には気を付けよう」
- 文を修正
- 見直している中で「思ったほど」は削除しよう、と修正した
- 「日本語はど、誤字脱字には気を付けよう」と何かのアニメキャラの口調のように「ど」が残っていた(笑)
あまりにも神経をとがらせて誤字脱字を探す、というのも何ですが、不自然な日本語表現になってないようには気を付けたいもの。
(記事のコメント欄で丁寧に指摘してくれる方もいて嬉しいですが、ちょっと恥ずかしいですね ^-^;))
誤字脱字は読みながら探すのは大変、ということもあるので、ツールなども活用してみると良いです。
- よく使われるのは、Microsoftの「ワード」
ワードで文章を書く、またはワードに書いた文章をコピペすると、不自然な表現になっている箇所に赤の波線が引かれたりして、間違い箇所が気が付きやすい、というのがありますね。
また、ネット上の無料ツールもあります。
良く紹介されているのが以下のようなもの。
(どちらも同じチェックエンジンを使ってるっぽい)
- 1)日本語校正サポート
- https://www.kiji-check.com/
- タイプミスや誤字脱字を見つけてくれる(最大1万字まで)
- 2)文章校正ツール
- https://so-zou.jp/web-app/text/proofreading/
- 間違った表現や不適切な表現を見つけてくれる(最大1万字まで)
どちらも漢字の変換ミスはうまく見つけられないようですが、どんな感じにチェックされるか一度試してみるのも良いかと思います。
普段から文章で使っている漢字でも、え?これ難読なの?とチェック結果に表示されますが(例えば「出来る」「身体」「~の為」など)、そこはもう、そうかー、でもこれは別にいいよね、と判断していくぐらいになるとは思います。
- ポイント:誤字脱字について
- 文章の意味が取れないような誤字脱字は、検索エンジンも意味が取れず記事の評価にマイナスの影響があるかもしれない。
- ツールなどを使って、極力誤字脱字がないようにしていくのも効果的
「~ね」の使い方
少し柔らかい表現にしようとして、文章の最後に「ね」をつける場合がありますよね?(と、いきなり”ね”を使ってみた。
日本語の文法的には終助詞と呼ばれるもの)
最後に「ね」を付けると、確かに少し柔らかな印象にはなりますが、変に付けると、
何か違う、
違和感がある、
といった不自然な日本語になることもあります。
例えば以下の文、どう感じるでしょうか。
- 自然な文章を書く、という講座を受けたことがありますね。
突然この文だけが出て来ると、何か言いようのない不自然な感じを受けるかもしれません。その理由は「~ね」は基本的に相手がいる中で、以下のような使い方をするからです。
- 相手に対する同意を表す
- 例)こういった書き方はしないよね(ってあなたも思うでしょ?)
- 相手に対して確認をとる
- 例)では、これをやりましょうね(いいですか?)
上の例文「自然な文章を書く、という講座を受けたことがありますね」も、その文の前に何か「文章を書く」に関連した話があり、そういった中で、
- (そういえば私も)自然な文章を書く、という講座を受けたことがありますね。
と、同意を表すような流れの中で使うと、自然な感じになりそうです。
そうした前からの話しの流れなしに、単に文を柔らかくしたい、という意識でやたらと「ね」を付けると、読み手としては何か言いようのない違和感を感じる、ということにもなり、結果、日本語的に不自然な感じ、という印象を持たれそうです。
また、前後の流れから「ね」を付けるのが不自然に感じない場合にも、やたらと「ね」をつけると、読み手としては、1つ1つ確認や同意を求められているようで、読んでいて疲れる、というか、馴れ馴れしい、というか、何か不自然な印象の文になることもあります。
「ね」を使う時は、相手に対する同意や確認の意味になっているか前後の流れに気を付けて適度に使う、として行けば、自然な日本語の文になりそうですね。
(と最後に「ね」を付けてみた)
- ポイント:「~ね」の使い方
- 「~ね」は、単に文を柔らかくする、というところでは使わない
- 同意や確認をとる、という流れの中で使う、と考えれば分かりやすい
文章を書く時の意識
記事は読者に対して「何かの疑問に対する答えや解決策を書くもの」が多いですが、そういった文章を書く時に「私は良く分かっている」「教えてやるぞ」という雰囲気が出すぎてしまう場合もあり、これも何か不自然さを感じる1つになることがあります。
例えば、
- この記事では、日本語の文章の書き方を教えます
こうした「教えます」という表現は、使う場面によっては「押しつけがましい」「上から目線」みたいな感じが出るので気を付けた方が無難です。
(単に、説明します、解説します、などに置き換えると良さそうですね)
どこの誰ともわからない人が書いている記事に、こうした「教えてやるぞ」的な「上から目線の雰囲気」が出ていると、読者から見れば、
- 「別に頼んでいるわけではない」
- 「そんなことをあなたに言われる理由はない」
という感じで、無意識の内に反感、嫌悪感が生まれて、そっぽを向かれるかも知れません。
たとえ、そんなつもりはないのに、と思って書いたとしても、読み手である第三者から見てそうした雰囲気が感じられるとしたら、読まれない記事として検索順位も上がらないことになりそうです。
その記事を読む人の気持ちを考えて、こうした雰囲気が出てないか気を配って表現を変えていく、ということも、自然な日本語、という点では必要だと思います。
- ポイント:記事を書く意識
- 上から目線的な表現を使わない
- 教えてやるぞ的な雰囲気を出さない
読みやすい文章
「不自然な日本語」にも含まれますが、読みづらい、というところも気を付けたい点。
ここでは読みづらい文章とならないポイントを見て行きましょう。
連続する平仮名と漢字
連続する平仮名
日本語には漢字、ひらがな(とカタカタ)とありますが、これらが適度に混ざっていると普通にスラスラと読めます。
どうしてスラスラ読めるのか、と言えば、適度に漢字が混ざっていると、どこからどこまでが単語か把握しやすく、文章の意味を取りやすくなるからです。
読んでそのまま理解できるし、立ち止まって「どこが単語なんだろう」なんて考えなくても読み進められる、というところですね。
例えば以下のような文があったとします。
- ブログはなにをどうすればよいのかがわからずにだたやっているだけでは楽しさが実感できない
ゆっくり読めば分かりますが、ブログの記事は1文字1文字しっかり読まれない、流し読みされる、というところを考えれば、このように平仮名が連続すると、
んん?何が書いてあるんだ?
と途端にそこで急ブレーキがかかって立ち止まる必要が出てきます。非常にストレスを感じて読みづらい文章になってしまいますね。
そこで適度に漢字を混ぜて(読点も意味の区切りで付けたりして)見直せば、サラサラっと読める文になりそうです。
- ブログは何をどうすれば良いのかが分かっておらずに、だたやっているだけでは楽しさが実感できない
漢字は3割ぐらいが良い?
漢字を兎に角混ぜれば良いのか!ということでもなく、漢字を混ぜすぎると逆に分かりづらい文章にもなってしまいます。
例えば以下の文。
- 私には様々な文章を色々な手法で書く事が出来ます
ちょっと読みづらいかも、という感じがしないでもないですが、それは漢字が多すぎて、どこからどこまでが意味の塊かが読みとりづらくなっているからです。
これであれば、以下ぐらいが良いかも知れません。
- 私には様々な文章をいろいろな手法で書くことができます
漢字は意味の塊が分かるぐらいに適度に混ぜて行くのが良さそうですが、漢字の混ざり具合(割合)に対しては「漢字は3割ぐらいが読みやすい」とも言われてます。
え?3割?と聞いて、実際漢字の数を数えて計算する人はまずいないと思いますが(笑)、以下のサービスを使えば簡単に分かります。
これを使って先ほどの例文の漢字の割合を見てみると、
- 1)私には様々な文章を色々な手法で書く事が出来ます(47.83%)
- 2)私には様々な文章をいろいろな手法で書くことができます(26.92%)
漢字3割、という観点からすれば、1つ目はやはり多め、2つ目は、まぁこんな感じか、というところでしょうか。
自分が書く文章はどうも硬く見える、漢字が多くないかな、という場合には、一度文章中の漢字の割り合いを見てみると参考になるかもしれません。
- ポイント:平仮名と漢字
- 平仮名を連続させずに、意味の塊が分かるように漢字を適度に混ぜて行くと読みやすい文になる
長い文章は、どこかで切る
日本語は気を配ってないとドンドン言葉がつながって、意図せず1文が非常に長くなる場合があります。
よくあるパターンが、1つの文の中に複数の文(主語+述語の文が2つ以上とかある)というもの。
例えば以下のような文ですが、
- そこで今まで10年間ブログに関する本やコピーライティングの本を読みあさってきた私が、ブログに活用できる文章の書き方の手順を考えたので是非参考にしていただき、無駄な作業時間は捨てて、より読みやすく分かりやすい文章となるようにして行きましょう。
何かだらだらと文が続き(しかも長い!)読んでいて疲れる、意味がとりづらい、というものになっていそうです。
こうした長い文は、読み手からしても、
「んん?どこからどこまでどういう意味なん?」
と考えながら読まないといけないので、読むのが結構辛い(サラサラっと流し読みできない)ことから「読みづらく分かりづらい文章」になると思います。
ブログで記事を書いたあと、読み直しの中で「何かこの文、1行が長いな」と感じるところは2文に分けて行くと、読者から見て読みやすくなりますね。
上の例に対して2文に分けたりすると、以下のような感じになりそうです。
- そこで今まで10年間ブログに関する本やコピーライティングの本を読みあさってきた私が、ブログに活用できる文章の書き方の手順を考えてみました!是非参考にしていただき、無駄な作業時間は捨てて、より読みやすく分かりやすい文章となるようにして行きましょう。
単に1文を2文に分けただけですが、1文でざ~とつながっているよりは断然読みやすくなりそうです。
補足までにですが、この例文の場合、主語が長すぎる感じで、それが分かりづらさも出していそうです。
例えば以下のようにして行くのも良いですね。
- 私は今まで10年間ブログに関する本やコピーライティングの本を読みあさってきました。そんな私がブログに活用できる文章の書き方の手順を考えてみましたので是非参考にしてみてください。無駄な作業時間は捨てて、より読みやすく分かりやすい文章となるようにして行きましょう。
長い主語を1文として独立させ、残りを2文に分けて全体で3文構成です。
おぉ、更に分かりやすくなった!...かな?
- ポイント:1行が長い文
- 1行が長い場合、読みづらく分かりづらくなるので、2文に分けて行くのが良い。
専門用語、難しい表現
日本語的に自然な文でも、その文の中に意味が分からない専門用語が入ってきたり、知ってはいても意味が良く分かってない表現(難しい表現)が入ってくると、スラスラ読み進められず、読むのが辛くなります。
読むのが辛くなるのは、文章を読みながら、そのよく分からない用語の意味を考えないといけない、というところと、結局その用語の意味が分からなければ文章全体として言いたい事が分からないから。
記事を書く基本としてよく言われるのが、
- 記事は、小学生や中学生が読んでも分かること
文章中で使う漢字や表現は、不特定多数の人が読む(つまりどれだけ語彙を理解するか、といったバックグラウンドが異なる人が読む)ということを念頭に誰でも読めるものにしよう、というところです。
勿論記事内容によって、
- 初心者や入門者が読むもの
- ⇒ 平易な表現でないと理解ができない
- 中級者が読むもの
- ⇒ ある程度知識がついて、よく出て来る専門用語とかは分かる
- 上級者が読むもの
- ⇒ すでに知識は一通りついているし専門用語も分かる
と読者の想定によっても変わるため、一概に「小学生や中学生が読んでも分かること」は当てはまらないとも言えますが、でも実はよく分かっている人ほど誰もが読めるように書けるもの。
文を書きながら、これは一般的に分かる表現になっているだろうか、と考えて、「小学生や中学生が読んでも分かること」を基本とし、以下のように、
- 1)難しい表現は避ける
- 2)専門用語を使う時には工夫する
として行くのが良いと思います。
その1)難しい表現について
難しい表現にも、漢字の読みが難しい、あまり知らないことわざや四字熟語が使われて意味がよく分からない、などがありますが、難しい表現として最もよく現れるのが漢字だと思います。
漢字変換で簡単に難しい漢字が気軽に使えてしまうことから、つい「これなんて読むんだっけ?」と考えてしまう漢字も頻繁に使われます。例えば以下のようなもの。
- 所謂(いわゆる)
- 殆ど(ほとんど)
- 僅かに(わずかに)
- 予め(あらかじめ)
- 捗る(はかどる)
- 寧ろ(むしろ)
- 漸く(ようやく)
- 貶める(おとしめる)
- 窘める(たしなめる)
読み方を考えてしまうような漢字を使うと、読み手のストレスとなり、それが頻発すれば「もうこの記事分からない」「読みたくない」ということにもなりますよね?
難しい漢字を使うことで、
ちょっと賢く見せよう、
そのために難しそうな漢字を使おう、
という考えが出たとしたら、そこはグッとこらえて、誰もが分かる平易な表現にした方が良いです。
誰とも知らない人の記事に対して、この人賢い、と漢字だけを見て思うはずもなく、逆に、そうした難しい漢字が並ぶと、
- なんて読みづらい記事なんだ
- 読者の事を考えられない質の悪いライターだな
と思われる理由にもなりそうです。
(こう思う人が多い記事は当然読まれなくなり、検索順位も上がりません)
- 誰もが分かる、読める、といった漢字や表現を使う。
書き手は一人でも多くの人に読んでもらいたい、と(普通は)思うはず。
であれば、読者がスラスラ読めそうかどうかは考えて、「この漢字は読みづらい」というものは平仮名にする、別の表現にする、などを考えて行くのが良さそうです。
誤字脱字のところで紹介しているサービスを使うと、どういった表現が難しい、とされるのか調べてみることができます。(本当にそうなの?というものもたくさんピックアップされますが ^-^;))
- 文章校正ツール
- https://so-zou.jp/web-app/text/proofreading/
- 間違った表現や不適切な表現を見つけてくれる(最大1万字まで)
一度どんなところが難しいと言われるか(あくまで一つの目安として)試してみると良いですよ。
その2)専門用語
何か特定ジャンルの記事を書く場合、初心者から見ると「この意味、分からないなー」といった専門用語を使う場合があります。
(書き手は当然その意味を解っているし、専門用語を使った方が断然説明しやすいので、ついつい専門用語のオンパレードになることも)
例えば趣味のジャンル(スポーツ、釣り、カメラなどによく使われる専門用語)や旅行系の記事(その地域や国などでは当たり前になっている名前など)もそうです。
ブログ系の解説記事で言えば、まだブログって何?という読者に向かって、「ドメイン」とか「サーバー」、「ワードプレス」とかの言葉を使った説明がドンドン展開されていたとしたら「何を言っているのか全く分からない」「何だこの記事は!?」ということになりますよね?
既にブログの立ち上げが終わった後についての記事であれば、当然、ドメインとかワードプレス、サーバーという単語は知っている、ということが言えると思いますので、説明の文の中で普通に使っても分かってくれるのは想像ができます。
でも、ブログの立ち上げに関する最初の記事で、いきなり「まずはドメインを取得しましょう。取得するには~」と説明をすると、「ドメインってな~に?」となって、もう読者の頭の中はクエスチョンマークが3つも4つも点灯している状態になってしまいます。
こうした専門用語など「この記事を検索する読者には分かりづらいかな?」「まだ分からない人が多いかな?」という表現については、知らない人にも分かるように工夫を混ぜつつつ書くと、読みやすい、分かりやすい文章になっていきます。
工夫その1)
専門用語や難しいと思われる表現を使う時の書き方の1つ目としては、その後にザックリで良いので意味が伝わりそうな簡単な補足を付ける、というものがあります。
例えば、ドメイン、であれば、以下のように簡単に補足を付けてみる。
- ドメイン(example.com など)
- ドメイン(example.com などブログの住所となるもの)
こうすることで、読者は「ドメインってなーに?」と思わずに、その場で「あー、あれね」など(ざっくりと)理解して読み進められます。
専門用語でなくても、難しい言い回し、四字熟語なども同様ですが、旅行系の記事では良く出て来る「現地の通貨」なども同じことが言えそうです。
例えばアメリカなど「ドル」を通貨単位として使っている国に行った時、
- これは5ドルだったんだ。いいでしょう!
と書いたとしても、書き手が何をそんなに喜んでいるのか、いまひとつピンとこない。(ので書き手の意図が伝わらず、大して面白くない記事に見える)
「ドル」と一口に言っても日本円にしたらいくらになるのか国によっても変わるので、こちらも同様に、
- これは5ドル(550円ぐらい)だったんだ。いいでしょう!
とかすれば「5ドルっていくらぐらいなんだろう」と思わずに読み進められます。
「ドル」ならまだ良いですが、例えば、私の住むタイでは「バーツ」という通貨単位を使っていて、これを普段あまり使わない人に向けて「タイで食べたこれ、50バーツでした!とっても安い!」と書いたとしても、「50バーツっていくらだよ」となり、その文の意味が伝わりません。
ここでは同様に「50バーツ(150円ぐらい)」とかにしていくと、サクサク読んでもらえそうですね。
工夫その2)
上で見た難しい表現や専門用語では、書籍とかでも良くある「※印」などを振って注釈としてつける、というやり方もあります。
- ドメイン(※1)を取得しますが、ドメイン名を考える時、どうした名前を考えたらいいか分からない、という場合もありますね。そうした時にはドメイン名を考える材料となるいろいろなサービスがあります。
- ※1)ドメイン:example.com などブログの住所となるもの
これはこれでも良いですし、よくある書き方だと思いますが、目線が移動するので文章量が多いと読みづらい(※印の補足を探さないといけなくなる)、というところがありそうです。
その説明が「簡単には表現できない」「ちょっと詳しめに説明しておかないと記事全体の意味が分からない」という場合には、上の例のように「※印」をつけて別の箇所で説明する、というのも良いですが、工夫その1で見たように、なるべく一言二言ぐらいに簡略化した説明をカッコで付ける方が良いかと思います。(目線を移動させずに読み進められるので読みやすい)
- ポイント:難しい表現について
- 記事は「小学生や中学生が読んでも分かること」を念頭において書くのが良い
- 難しい漢字は平仮名にしたり、別の平易な表現におきかえる
- 専門用語など意味が分かりづらい表現は、その後にカッコ書きで簡単な補足入れたり、※印を使って別の箇所に補足として書く
文字の装飾
ワードプレスで記事を書く場合、いろいろな文字装飾ができます。
(文字装飾って何か絵に色付けしているようで楽しいですね!)
文字装飾の中でも最も多く用いられるのが「太字」(強調)だと思いますが、そのほかにも簡単に文字色を変えられたり、文字の背景色を変えられたり、使用しているテーマによっては吹き出し付きの会話調の表現だってできちゃいます。(吹き出し専用のプラグインもありますね)
太字(強調)にしろ文字色にしろ、文字装飾をする時のポイントは、「なぜ文字装飾をするのかを考えて使う」ということ。
なぜかと言えば、文字装飾は単に気分で色付けとかするものではなく、以下の様に使うから。
- 「ここがポイントだよ」ということを読者に対して視覚的に表す
- それにより「読みながら文章中の重要な点が自然と分かる」といった効果を狙っている
(会話調の「吹き出し」はこれとは異なり、柔らかく親しみのある雰囲気を出す、文章だけの説明の中にアクセントを入れる、というために入れると思いますが)
そうした効果を意識して、書き手としては「ここがポイントだ」と思い文字装飾しながら記事を書いていくわけですが、見出しに対する中身に対して何か所も太文字にしたり文字色を変えていた、となる場合も多くあります。
そうなってくると、読者から見て何がポイントかも分からないし、目がチカチカして読みづらい、というものにもなりますね。(こうした記事を見かけたことあると思いますが、実は自分も同じことをやってしまっていた、ということにもなりそうです)
ここがポイント、というのがいくつあるのかは文の中身によるところですが、1つの目安としては、
- 太字(強調)などをする箇所は、見出しに対してその中身の中で1か所から2か所ぐらい
と考えて見てみると良さそうです。
文字色を変える、太字(強調)にするにしても、一旦文章を完成させたうえで、ここがポイントだな、と客観的に見て付けていく、ということが読者目線的にも必要そうです。
※)ながら作業は、どんな場合でも時間が余計にかかるもの。文字装飾も、記事を書いた後でまとめてやると、質も高くなり時間短縮にもなります
吹き出しの考え方
吹き出しもブログの記事では流行りの表現ですが、こちらも何のためにそこを吹き出し表現にするのか、というところを押さえて使うのが良いです。
記事の流れを柔らかくしたりアクセントとして使う、ワンポイントとして使う、など考えて使わないと、吹き出しの会話があるがために逆に分かりづらい記事にもなりますね。
- 何かダラダラした説明
- 吹き出し会話が長く続いて、記事自体がダラダラした感じになる
- これだったら文章の説明の方が分かりやすい、という感じ
- 吹き出しの会話が邪魔
- その会話、なくてもいいじゃん、みたいな使われ方をして、記事自体が引き締まらない
- かえって分かりづらい
- 要点が吹き出しの会話調で説明されているので、ポイントが押さえずらい
たまに見かけるのが、記事の先頭からいきなり吹き出しで始まる記事。
勿論その会話の内容にもよりますが、いきなり吹き出し付きの会話で始まることが、果たして分かりやすい記事の導入になるのかどうかは、よく考えて使うのが良いと思います
文字装飾と同じで、吹き出しも「その役割を考えてポイントを押さえて使う」というのが良さそうです。
補足)太字のポイント(SEO観点)
太字(強調)はHTML的には「<strong>」とか「<b>」のタグで囲われます。
※)参考
<strong>タグと<b>タグはHTML的には異なる使われ方をしますが、グーグル的には特にきにしない、という発言もあります。ワードプレスでは自然と <strong>のタグで囲われるようですね)
この太字についてアドセンスのヘルプフォーラムでよく言われているのが、「意味が読みとれる範囲に対して太字にする」ということ。
なぜかと言えば、単語に対して太字にする場合もありますが、単語だけだと「検索エンジンが理解できない」「検索エンジンが混乱する」のだそうです。(ここ太字になっているけど何で?みたいな感じでしょうか(笑))
たとえば以下の例:
- ブログの記事を書く時にとても重要となるのが、まず自然な日本語で書く、ということ。その中には勿論「読みやすさ」「分かりやすさ」というところも含まれますが、自然にスラスラと読めるような文章を、まず心掛けましょう。
ここでは少しの文章の中に太字が多く出てきますし、各々の太字が単語に対してのように見えて、1つ1つで意味が分かるか、というと難しそうです。
見出しに対する中身に対して、1つか2つ、意味のある範囲を太字にする、となると、例えば以下のようにするのが良いかもしれません。
- ブログの記事を書く時にとても重要となるのが、まず自然な日本語で書く、ということ。その中には勿論「読みやすさ」「分かりやすさ」というところも含まれますが、自然にスラスラと読めるような文章を、まず心掛けましょう。
太字にするとしたら、その部分の結論的な箇所、話の出だしのポイント、などと考えて、読者から見てどの部分が重要かという観点で見ると分かりやすいかもしれません。(ざっと流し読みする時に、太字の部分だけを読みとって行っても流れやポイントが分かる、というような感じ)
ちなみに、ニュースサイトや出版社系のサイト(企業サイト)などを見て、文字装飾はどのように使っているかを見てみると、使いどころはどこか、という点で参考になると思います。(使っているサイトは使っている、という感じですが、限られたところのみの場合が多く、大抵は文字装飾はあまりないモノトーンな感じがすると思います)
- ポイント:文字装飾について
- ポイントを絞って使う(使い過ぎない)
- 太字(強調)は、意味ある塊に対して使うのが良い
分かりやすい文章
続いては「分かりやすい文章」についてです。
「文章の分かりづらさ」は不自然な日本語、読みづらい文章、というところにも含まれますが、どんなところに「分かりにくさ」が現れるか、そのポイントを見て行きましょう。
主語述語の関係
まずは文章の意味を決める主語述語から。
主語述語が自然につながっていること
文章を分からなくすることが多いのがこの主語述語。
日本語は主語(私が、など)、修飾語(どこどこで、とか、たまに、など)、述語(~した、など)で構成されてます。
主語とは「何々が」、述語は「それがどうした」が書かれているところで、文章の意味を作る骨格となる部分。
- 例1)花が咲いた
- 例2)私は京都を訪れた
- 例1では、主語は「花が」、述語は「咲いた」
- 例2では、「私は」が主語で「訪れた」が述語
(「京都を」は修飾語(目的語))
実際記事を書く時は、例1のような単純な主語述語だけの文ではなく、修飾語が色々と入ってきて複雑な文になります。
だからこそですが、文が長くなると、主語、述語のつながりが自然でないことが結構あり、読んでいて日本語的に不自然で意味が分からにくい文になったりします。
たとえば簡単な例では以下のような感じ。
- 例1)用意するものは、紙とペンだけでできます。
この例1では、「用意するものは~です」となれば、主語述語が自然につながっているので文として不自然さは感じずに読み進められますが、最後に「できます」と来るため、文全体としては「用意するものは~できます」となり、何か変だ、という不自然さを感じさせます。
(書き手としては頭の中で「これは紙とペンだけでできるな、となれば、用意するものは...」と思いつつ書いているので、最後が意図せず「~でできます」となってしまった感じでしょうか)
この場合には、以下のような感じにすれば良いですね。
- 例)用意するものは、紙とペンだけです。
- ⇒ 用意するものは~だけ、と自然なつながりになっている
- 例)紙とペンだけ用意すればOKです。
- ~を用意すればよい、という形になり、自然なつながりになっている
少し長い文になり、主語述語の関係が自然でない例としては、たとえば以下のような感じ。
- 例2)特に注意する点は、不自然な文章は誤解を与えたり意味が伝わらない可能性があります。
この例2でも同様で、「注意する点は~です」となれば主語述語が自然な感じにつながるところ、「注意する点は~可能性がある」とつながっているので、読んでいて、意味は分かるが何か不自然な文章、という印象になります。
こちらも以下の様にすれば自然な感じになりそうです。
- 例)特に注意する点は、不自然な文章は誤解を与えたり意味が伝わらない、ということです。
- 例)不自然な文章は誤解を与えたり意味が伝わらない、ということには特に注意をしましょう。
1つ目の例では、「注意する点は~ということ」、2つ目の例では「~ということには注意する」という形になっていて、主語述語が自然につながってます。
これなら文章の意味が普通に伝わり、分かりやすくなってそうですね。
主語述語が離れて過ぎていないこと
主語と述語が自然につながっていない、という以外にも、文章が長く、主語と述語が離れすぎて文の意味が読みとりづらい、という場合もあります。
例えば以下の文:
- 私の友達と彼が職場の飲み会で騒ぎすぎて周りに迷惑だったとして先輩から注意を受けた後輩について話をした。
分かると言えば分かりますが、流し読みするには少し難しそうな感じです。
(読点(、)がないので尚更ですが)
文全体の主語述語の構成としては「私の友達と彼が~について話をした」というところですが、なにか「私の友達と彼が迷惑だった」のようにも見えてしまいます。
この文の前からの流れにもよりますが、例えば以下の様にすればスッキリ意味が通りそうです。
- 職場の飲み会で騒ぎすぎて周りに迷惑だったとして先輩から注意を受けた後輩について私の友達と彼が話をした。
(主語(私の友達と彼)を述語(話をした)のすぐ近くに持ってきた)
また主語述語が遠くてよく分からない、というところで良くあげられる例としては以下のようなものがあります。
(中身はどうでもよい話なので読まなくていいです(笑))
ある研究者は、現代の自然科学を習得しその枠内で思考している間は、人はつい「時間は常に一定の速さで過ぎるものでそれに合わせて様々な現象の進行速度や周期の長さが計れる」などと考えてしまうが、その時、人はある周期的な現象、例えば天体の周期運動、振り子の揺れ、水晶子の振動、電磁波の振動などの繰り返しの回数を他の現象と比較しているだけであり、何か絶対的な時間そのものの歩みを計っているかどうかは本当は定かではない、と言っている。
ある研究者は~と言っている、という構成の文ですが、その言っていることが非常に長いし、その中に主語述語もたくさん出て来るので、全体が捉えずらい、ということになりますね。
こうした場合には、例えば以下の様にすればよい、ということになります。
ある研究者は以下のように言っている。
現代の自然科学を習得しその枠内で思考している間は、~ 何か絶対的な時間そのものの歩みを計っているかどうかは本当は定かではない。
出だしで主語述語を近くにもってきて分かりやすし、その後に、大きな述語となる部分を書く、という形です。
この例はちょっと極端ですが、記事を書いている中で似たようなところがあれば、語順を変えるなどして主語述語の関係を分かりやすくして行くと良さそうです。
- ポイント:主語述語について
- 主語と述語が自然につながっていること
- 主語述語が遠く離れていると分かりづらいので、なるべく近くにもってこられる工夫ができると良い
修飾語の語順
日本語の言葉の並びは自由度が高いので、主語(誰が)、修飾語(何を)、述語(どうした)、という語順にならない場合も多いし、主語はけっこう省略されることもあったりして、いろいろな構成の文が登場します。
その中でも修飾語(”何を”の部分)の位置によって、意味がとりづらく分からない、とか、別の意味になってしまう、という場合もあるので、ブログの記事を書いた後はこの「修飾語の位置」について、注意して読み返してみるとよいです。
よくあるパターンとして、先頭に修飾語が来て、意味が良く分からない文になることがあります。(口語では良くあるパターン)
- 例1)
- 意外にも今回自分のミスはそこまで無いだろうと思っていたが、これが調べてみると沢山あった。
先頭の「意外にも」がすぐその後の「そこまで無いだろう」につがっているように読めて、何か不自然な感じです。読み直せば、最後の「これが~沢山あった」に繋がっていると分かりますが、流し読みしていると、あれ?何か変、という感じにもなりそうですね。
以下の様にすれば自然に読めます。
- 例1-修正版)
- 今回自分のミスはそこまで無いだろうと思っていたが、これが調べてみると意外にも沢山あった。
口頭ではありがちなところですが、それをそのまま文章にすると意味が分かりづらくなる場合もありますので、気を付けた方が良いところ。
また例えば以下の文:
- 例2)
- その車両は、基本的に優先席は混んでいても空いていることが多い。
一瞬、んん?となりそうな感じですが、この文の場合、「基本的に優先席は混んでいる」と読めてしまうので、意図していない別の意味になり、さらっと読むと分からない文になっています。
そこで語順を変えて以下の様にすれば、意味のはっきり伝わる文になりますね。
- 例2-修正版)
- その車両は混んでいても、基本的に優先席は空いていることが多い。
修飾語も主語述語と同様に、修飾する部分(つながっている部分)が遠くにあったりすると、文章の意味が変わる場合もありますし、非常に分かりづらいものにもなりますね。記事の見直し時には、こうした点にも気を付けていきましょう。
- ポイント:修飾語について
- 主語述語と同じく、その修飾語がどこにつながっているのか、自然なつながりの文章として読めるような位置に置く。
目的語の明確化
目的語っていうと英語っぽい感じですが「誰が、何を、どうする」という時の「何を」のことを指してます。
文章の流れ次第になりますが、日本語では前からの流れで明らかに分かっている場合には目的語を省略する場合も多いようです。
ただ、前の文が複雑で意味がとりずらい場合など、次の文で目的語を省略すると、んん?これは何を指しているんだろう、と少しあいまいで分かりづらい文章にもなるため、省略して良いかは気を付けた方が良さそうです。
例えば「子連れでどこかにお出かけする」といった内容の記事を書いたとします。
その中で、「こういったところは混雑するので避けた方が良い」とか「階段が沢山あるのでベビーカーは避けた方が良い」とか幾つか文を書いた上で、最後に以下のような文が出て来たとします。
- この場合は避けた方がいいかもしれません。
書き手としては勿論何を意図しているのか分かっているので、特に分かりづらいとは思いませんが、読み手からすると色々なことが書かれていたので、
- 「行くこと自体を避けた方が良いのか」
- 「子連れで行くことを避けた方が良いのか」
- 「ベビーカーを避けた方が良いのか」
などなど、「何を避けた方がいい」といっているのか、その意味がとりづらいんですね。
こうした場合は、たとえば、
- この場合は、子連れでお出かけするのは避けた方がいいかもしれません。
など、目的語を明確にして行くと、明快で分かりやすい文になります。
(あー、個別の事を言っているわけではなくて、全体的なことを言っているんだと分かりますね)
- ポイント:目的語について
- 目的語が省略されている場合、前の流れからその文の意味が明確に分かるか、という点には気を付ける
- 分かりづらい、という場合には、目的語を入れて行く
冗長な文章
ブログの記事は小説などと違い、何か知りたい読者、何か解決策を求める読者がいて、その読者に向けて解決策や答えを記事で提供する、というのが基本だと思います。(あくまで基本は、というお話し)
となれば、その記事に書かれている文章は、余計なものが付いた文(冗長な文章)ではなく、分かりやすく簡潔なものが良い、ということが言えると思います。
冗長な文章とは、
- 回りくどい言い回しが使われている文章
- その部分がなくても分かるのに、というものが余計に付いてる文章
簡単な例として、普段口癖のように使っている言い回しをそのまま文章でも使ってしまい、冗長な文章になる場合もありますね。
私の場合で言えば、会話で口癖のようによく使う「ちなみに」とか「基本的に」という言葉を文章でも頻発していることが結構あります。(この記事にも結構出てきていると思いますが(笑))
- 例)ちなみにこれは~ですね。
- 「ちなみに」はなくても普通に自然につながる文章であれば、最初の「ちなみに」は削った方が良い
- 例)文章は基本的には自然につながるように書くのが良い。
- 前後に例外などが書かれていれば別だが、特にそうしたことがなければ「基本的には」意味がないので削った方が分かりやすい
この他にもよく使われる冗長な表現として「~など」もありますね。
(~などを付ける必要がないのについている(~など、と複数の意味を示しておらず、いや、それは1つしかないだろう、と思われるところにも付けてしまう)
また、文章の意味を正確に読みとってもらうと、無駄に主語や目的語を使う場合も冗長になり、くどいな、という文になりがちです。
たとえば以下の文:
- 例)
エアコンの温度設定は、夏は26度ぐらいが良いですが、秋のエアコン設定はもっと温度を落として23度ほどでも良いですね。
何か回りくどいというか、難しいというか、冗長というか、そんな感じ、しないでしょうか。
この例では文の出だしを読めば「エアコン設定」や「温度」の話しと分かるのに、後半でも改めて「エアコン設定」とか「温度」が出てくるし「良いです」という表現も2回出てきます。
こうした冗長なところはばっさり削除したり表現を工夫して、すぐ意味がとれるようにコンパクトにしていくと、とても分かりやすい文章になりますね。
- 修正例)
エアコンの温度設定は、夏は26度ぐらい、秋は23度ほどでも良いですね。
随分スッキリしましたが 、修正前も修正後も文章の意味は同じだと思います。 (まるで久しぶりに床屋に行って髪をバッサリ切った気分(笑))
冗長な文は、分かりにくさにもつながるし、アドセンスのヘルプフォーラムでは、「必要以上に文字数を増やしているとグーグルから見られる」とも言われるところです。
(つまり不必要に文字数を増やした記事=記事の質が悪いと受け取られる)
読者に対して、読みやすく分かりやすい文にするために、冗長だと思われるところは削って、より分かりやすくシンプルな文にしていくのが良さそうです。
連続する「の」を退治する
同じ表現の繰り返し、というところに共通しますが、冗長な文の1つに「~の~の~の」といった「の」の連続する表現があります。
例えば以下のような文:
- ・今回のノウハウの一番のポイントは、自然な日本語を書くことにある
- ・最新のパソコンの機能の詳細のページは、こちらをご覧ください。
- ・彼のスマホの機能のメッセージ送信がすごく便利みたい
普通に読めると言えば読めますが、「の」が3つ以上連続すると何か冗長で分かりづらく、稚拙な感じを受けそうです。
- 「連続する「の」は2つまでとする
(「~の~の」までにする)
この「2つまで」はよく言われるところですが、連続する「の」では、2つまでにおさえると、冗長な感じを受けない自然な文にもなり、分かりやすくもなりそうです。
「の」が3つ以上連続する場合には、以下のような工夫をして行きましょう。
- 1)時間に関すること
- 「~における」に置き換える
- 例)電車の出発時の揺れの対策は...
⇒ 電車の出発時における揺れの対策は...
- 2)場所に関すること
- 「~にある」「~にいる」「~に位置する」などに置き換える
- 例)東京の端の山の川がとてもきれい
⇒ 東京の端にある山の川がとてもきれい
- 3)物や事に関すること
- 「~における」「~に関する」「~に関わる」「~について」などに置き換える
- 例)今月の収入の評価の度合いは...
⇒ 今月の収入に関する評価の度合いは...
- 4)所有に関すること
- 「~が持っている」「~が所有する」などに置き換える
- 例)会社の保養所の庭の中央にある...
⇒ 会社が所有する保養所の庭の中央にある...
- 5)省略する:「の」自体を省略する
- 芸能人の資産のランキングの上位に来る...
⇒ 芸能人の資産ランキングの上位に来る...
- 芸能人の資産のランキングの上位に来る...
これらを使うと、先ほどの例は以下のようにも出来そうです。
- 今回のノウハウの一番のポイントは、...
- ⇒ 今回のノウハウに関する一番のポイントは、...
- 最新のパソコンの機能の詳細のページは、...
- ⇒ 最新パソコンの機能の詳細ページは、...
(「の」を削った)
- ⇒ 最新パソコンの機能の詳細ページは、...
- 彼のスマホのメッセージ送信のアニメがすごく面白い
- ⇒ 彼が持ってるスマホのメッセージ送信アニメが...
(後半の「の」も削った)
- ⇒ 彼が持ってるスマホのメッセージ送信アニメが...
「の」を断捨離する!(笑)、みたいな感じですが、同じような表現が繰り返される場合には、別の言葉に置き換えられないか、まとめられないか、削れないか、というところで見て行くと良さそうですね。
補足)外注化による記事の冗長性
外注さんを使ってブログの記事を書いている、という場合もあるかと思います。
外注さんに記事作成を依頼する場合、通常文字数で依頼すると思いますが(1000文字とか2000文字など)、外注さんによってはこの文字数に達しようとしてか、無駄に同じ言葉を繰り返し使ったり、冗長な表現が入ってくる場合があったりします。(単に”しかし”で良いのに”しかしながら”にするとか、”~なら”を”~ならば”にする、必要ないのに"例えば"という表現が入るなど)
コピーライティングのテクニックとして、同じことを繰り返し伝えたり、違う表現で同じことを伝えたりすることもありますが、そういったものではなく、単に冗長な表現が沢山含まれる記事、となっていると、もちろん読者にとって読みづらく分かりづらいものになるし、検索結果の上位に上がることは期待できそうもありません。(読者の役に立たない記事になっているので)
記事外注する場合には、結果として出来上がった記事に対して、冗長な点がないか、分かりづらい点はないかは確認して、必要であれば修正を入れるなどはして行くのが良いですね。
(修正点が多いと外注している意味がなくなるので、そうした外注さんにはなる早で「おさらばえー」と言いたくなりますね... ^-^;))
- ポイント:冗長な文章について
- 同じ言葉の繰り返しをしたり余計な表現を入れたりせず、分かりやすい文章にする(文章中の無駄はなくす)
- 「の」の連続は2つまでにおさえる工夫をする
理由が分かること
コピーライティングの基本中の基本にもなりますが、文章中に何か説明があったり、書き手の想いなどが書いてある場合、
- なぜそうなのか
- どうしてそう思うのか
というところがないと、読んでいる中で疑問が出てきて、非常に分かりづらくストレスのたまる文にもなり、読み手から見て内容のない薄っぺらい記事、というものにもなります。
食べ物系の記事、旅行系の記事、軽い感じで書くエンタメ系の記事などでもそうで、単に「これ、おもしろいですね」とか「凄く楽しいです」「これがまたおいしいんです」とだけしか書かれてない場合、書き手にしかその意味が分からない(読み手には、書き手がなぜそう思うのか、どうしてそうなのか、が分からない)ので、いわゆる日記的な記事(第三者から見て分からない記事)になります。
「これ、おもしろいですね」であれば、全くそのことを知らない人が読んでも「何がどうおもしろいのか」を分かるように具体的に書く。
「凄く楽しいです」「これがまたおいしいんです」も同様に、何がどう凄く楽しいのか、何がどうおいしいのか、味であれば「例えるとどんな味」など一般的にも分かるような例えを出したりして、だからおいしい、という説明にする。
何かノウハウを伝えるような記事でも「ここが重要なポイント!」「この場合はこうした方が良い」など書く場合もあると思いますが、これも「なぜそれが重要なポイントなのか」「なぜそうしたほうが良いのか」という理由を具体的に説明として入れて行く。
こうすることで、その意味が読者に良く伝わり分かりやすい文章になるし、文章自体に深みが出て「読者のためになる記事」にもなりますね。
- 理由をしっかり入れて書く!
ここに注意していけば、非常に分かりやすい文になりますので、この点をしっかり押さえて行きましょう。
- ポイント:理由が分かること
- 読者が記事を読んだ時、なぜ、を思わせない文章にする
ブログだからこそのポイント
最後に「ブログだからこそ」こうしたところに気を付けると読みやすい、分かりやすい記事になる、といったポイントを少し見ておきましょう。
箇条書きリスト
ワードプレスでは「箇条書きリスト」(番号付きリスト、番号なしリスト)があります。これは例えば以下のようなもの。
- 日本語は難しい
- 「~ね」の「ね」は終助詞と呼ばれる
- 終助詞は、間違って使われても何が間違っているのか分かりづらい
1文1文が箇条書きになり、それがリストのようになっているので「箇条書きリスト」(とか番号なしリスト)と呼ばれるわけですが、この箇条書きリストは、以下のような効果を狙って使われるものだと思います。
- 伝えたい内容が複数ある時、
- 情報を整理してそれを箇条書きにして、
- 視覚的に分かりやすくする
(だからこそ、ワードプレスでなくても、プレゼンテーションの資料を作成する場合には、視覚的に簡潔に伝えるために箇条書きが多用されますよね?)
この「情報を整理し、分かりやすく簡潔に伝えるために使う」というところがポイントですが、そのポイントを押さえずに、単に箇条書きにする場合も多いと思います。
例えば少々極端ですが、以下のように箇条書き1つ1つの文が結構長いものだったらどうでしょうか?(ただの例ですので、文は読まなくても良いです(笑))
- 日本語には、まず、主語、述語、修飾語、接続語、独立語といった文節があり、更に、動詞や名詞、副詞、形容詞、接続詞や助詞など多くの品詞と呼ばれるものがあるので、覚えるのがとっても難しい
- その中で終助詞と呼ばれるものがあり、これは「~ですか」「~ですよ」「~ですね」など、文の最後に「か」「よ」「ね」などを付けて、書き手の気持ちや態度を表すもの。「心配してもしょうがないさ」「心配してもしょうがないの」の「さ」や「の」も終助詞。
- 終助詞は、日本語を母国語としている人は当たり前のように使っているが、考えた上で、この時はこれを使おう、などとして使っているわけではない。そのため、間違えて使われても、何かおかしい、どうも不自然な感じがする、といったように、何が不自然なのか何が間違っているのか分からないし、具体的に何が悪いのか説明ができない。
折角の箇条書きもこうなると、
これ、わざわざ箇条書きにするの?
普通に文章で書けば良くね?
もっと簡略化したらどうよ、
みたいな感じになっちゃいますよね。
勿論場面にもよるし一概には言えないところだったりもするため、これはこれでも良いとは思いますが、箇条書きを使うのは、読者に情報を整理して簡潔に見せて分かりやすくするため。
そのポイントを押さえておけば、上の例は、
- 1)1文1文を短くする
- その代わりに箇条書きの後に各々詳しい説明を付ける
- 2)1文1文に見出しを付けるなどで、全体像を把握しやすくする
- 情報を整理し、簡潔に見せて分かりやすくする、というところを出すようにして行く
ということをすると、本来の箇条書きのメリットが出して行けそうです。(つまり情報が沢山あるので、情報の再整理、という感じ)
例えばここで2)の「各々の項目に見出しを付けて分かりやすくする」ということをしたとすると、先ほどの例は以下のような感じになりますね。
- 日本語は覚えるのが難しい!
- 日本語には、主語、述語、修飾語、接続語、独立語といった文節がある。更に、動詞や名詞、副詞、形容詞、接続詞や助詞など多くの品詞と呼ばれるものがあるので、覚えるのがとっても難しい
- 終助詞というものがあり、その種類も様々
- 終助詞と呼ばれるものがあり、これは「~ですか」「~ですよ」「~ですね」など、文の最後に「か」「よ」「ね」などを付けて、書き手の気持ちや態度を表すもの。「心配してもしょうがないさ」「心配してもしょうがないの」の「さ」や「の」も終助詞。
- 終助詞の間違いは説明が難しい
- 終助詞は、日本語を母国語としている人は当たり前のように使っているが、考えた上で、この時はこれを使おう、などとして使っているわけではない。
- 間違えて使われても、何かおかしい、どうも不自然な感じがする、といったように、何が不自然なのか何が間違っているのか分からないし、具体的に説明ができない。
より分かりやすくなるよう、太字も使ってます。
パット見た目、情報が整理され、1つ1つの長い文もその要点が一目でわかり、これなら長い文を含んでいても、箇条書きの良さが出ていそうです。
こうした書き方以外にもまず普通に箇条書きにまとめ、その下に1つ1つ詳細を書く、というのも良く見かける工夫になると思います。
- 日本語は覚えるのが難しい!
- 終助詞というものがあり、その種類も様々
- 終助詞の間違いは説明が難しい
日本語は覚えるのが難しい、というのは、日本語には主語、述語~、と1つ1つ詳細を語る、みたいな感じです。
箇条書きを使う場合には、箇条書きを使う意味(情報を整理し、項目1つ1つを簡潔にして読者に分かりやすく伝えること)を念頭に使うと、自然で分かりやすい日本語の文章、という記事になると思います。
- ポイント:箇条書きリスト
- 箇条書きは、箇条書きを使う意味を考え、項目1つ1つはできるだけ簡潔に短く表現する
見出しから続く文
ブログの記事では、一般的には「見出し」と「見出しに対する中身の文章」という構成になると思います。
例えば以下のような感じですが、
- 分かりやすい文章を書く(← 見出し)
日常的に日本語を使っている場合でも、分かりやすい文章を書く、となると、意外に難しかったりするものです。なぜ難しいかと言えば...
この「見出し」と「見出しに対する中身の文章」について、中身の文章が見出しから続く文のように書く場合があり、これが分かりづらくなることがあります。
例えば上の例を以下のような感じで書いたとしたらどうでしょう?
- 分かりやすい文章を書く(← 見出し)
日常的に日本語を使っている場合でも、これが意外に難しかったりするものです。なぜ難しいかと言えば...
書き手としては「これが意外に難しかったりする」の「これが」は見出しにある「分かりやすい文章を書く」ことを指しているつもりでも、読み手によっては、この文のあとにすぐ「これ」の説明が来ると思って読んでいく場合もあります。
この例文では、「なぜ難しいかと言えば」と続くので「これ」が結局何かが分からず、その時になって初めて「あ、見出しの事を指してるのね」と気が付くことになり(気が付けばよいですが)、ちょっと分かりづらい文章にもなっていそうです。
ブログの記事は流し読みされる、見出しなどは読み飛ばされる場合もある、と考えると、余計に意味をなさない混乱させる文にもなりそうです。
見出しから続く文が分かりづらくなっていないか、意味の取れる文になっているか、記事を読み返すときに気を付けて見てみるのが良さそうですね。
- ポイント:見出しから続く文
- 見出しは見出し、それに続く文はその文自体で意味がとれるようにすると、分かりやすくなる
画像を使う場合
ブログの記事は画像を張り付ける場合がありますよね?
旅行系の記事などはそうですし、そうでなくても例えばアプリの使い方の説明、何かの統計のグラフを使った説明など、記事内容をより詳しく解説するために画像を挿入する、といった場合が多々あります。
エンタメ系や時事ニュース系の記事などでは、画像の含まれるツイートを張り付けて記事内容を豊富にする場合もありますが、いずれの場合も画像の使い方によって、記事の分かりやすさが変わります。
あまりよくないのが、画像を貼って「それを見れば分かるでしょ」と言わんばかりに、画像に対する説明や補足がなく、画像の上や下に「それがこれ」(で画像がある)とか(画像があってその下に)「凄いですよね」「面白いですね」と「読者が画像から(書き手が期待する)必要な情報を読みとってくれる」ことを前提とした書き方。
例えば、
実際に訪れた場所がここ!
凄くきれいですよね!
この後、次の場所へと移動するわけですが...
上の例では、画像の説明がなく単に見せてるだけ。
「あぁ、確かにきれいだな」と読者は思うだけで、書き手が伝えたいことが分からず深みもないので、記事も平凡なものに見えそうです。
こうした記事は、いまひとつ分かりづらい、ぼんやりした記事、という印象にもつながり、もったいない、というものにもなりますね。(アドセンスの審査では落ちそうな書き方と言えるかも)
普通に画像を貼るにしても、ツイートを利用して画像を貼るにしても、「記事のコンテンツは文章である」というところを意識して、その画像で読みとってほしいことを文章としてしっかり説明すると、読者に意図が伝わり分かりやすい記事になります。
実際に訪れた場所がここ!
空の青さと白い雲。夕日が照らし、まるで紅葉してるかのように見える森。川には、その美しい空と木々が映り込んで、童話の中の一場面を見ているかのような感覚になりました。この川をさらに進んでいくと何があるんだろう... (野生の大国や妖精の森に出会えるかも知れない(笑))
こんなところに一度は行ってみたい!と思わせる雰囲気がありますね。
この後、次の場所へと移動するわけですが...
こうした自然の風景だけでなく、人物の画像なども同様で、その画像には色々な情報が含まれてます。
人物であれば、その表情から何か分かるか、どこで撮影されたものか、季節はいつか、一緒に映っている人がいるとしたらどういう関係か、など、いろいろと分かること、想像ができることがあれば書いていく。何かの統計情報の画像であれば、そもそもの画像の見方の説明を入れたり、その画像の中のどこがポイントか、といった説明を入れる。
それらを書き手が言葉で解説することで、画像がそこにある意味が深まり、記事内容も分かりやすくなり、独自性も生まれます。
これ、Youtubeなどの動画を張り付ける場合も同じです。
どんな動画の内容なのか、その見どころはどこなのか、など、読者はいちいち最初から最後まで見ている時間はない、というところを意識して、言葉で説明を入れて行くと分かりやすくなりますね。
文章以外のものを張り付ける場合には、しっかり説明や補足を入れて、読者にとってより分かりやすく意味のあるものにする、とういところにも着目していきましょう。
- ポイント:画像を使う場合
- 読者に見て分かってもらう、というのではなく、その画像に対する説明、補足、分かることなどを文章で書き、読み手からみて分かりやすくする
- 動画も同様
今回のまとめ
日本語を母国語として普段から会話や読み書きで日本語を使っている人にとっては当たり前、とも言えるところかも知れませんが、これがいざ文章を書いてみると、中々自分では気が付かない。
どうもうまく書けない、読み返しても(自分では当然意味が分かっているので)違和感のある所や間違いなどに気が付かない、結果、第三者から見れば不自然な日本語の文章、というものになってしまう場合もありますね。
不自然な日本語、読みやすさ、分かりやすさ、という点でまとめましたが、記事を書く際の参考にしていただければ幸いです。
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